いかなる点においてこの代補的代替は宿命的だったのだろうか。それはいかなる点において宿命的であるのか。いかなる点においてそれは必然的にそれがあるところのものでありつつあった —というのも、これがその本質を形成する時制であるから— のだろうか。根源そのものにおいてそれの出現を運命づける裂け目とはどのようなものであろうか。
この裂け目は普通の裂け目ではない。それは裂け目というものであって、つまり間(ま)[音程]の必然性、間=(espacement)化の厳しい法則なのだ。それは、歌の誕生以来、歌の本質の中に刻み込まれることによって、はじめて歌を危機に陥れることが可能であった。間=化は歌の偶然事ではない。あるいはむしろ、偶然事と付随物、堕落と代補としてのかぎり、それはまた文字通り歌が出現する[場をもつ]ための必要条件である。『辞典』では、音程[間]が歌の定義の一部をなしている。それゆえそれは、こう言っていいなら、根源的付随物であり、本質的偶然事なのだ。ちょうど文字言語(エクリチュール)がそうであるように。 (p.117)
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